練習できた時間はそう多くはなかった。
美奈子は予備校。N大受験を控えてるから、手抜きは致命傷になりかねない。
夏輝はバイト。内定まで取ってるちゃんとした仕事だから、休むのは立場的にマズい。
結局時間があるのはわたしだけで。自分ってナーナーで生きてるんだなって思ってちょっと憂鬱になったりもしたし、時間の都合があわない事でケンカしたりもした。
でも、もうそんな時期は終わった。
泣いても笑ってももう後はない。半分ぶっつけ本番だ。
「あー! キンチョーしてきたなーもー!」
そんなコト言いながらジタバタその場で暴れる夏輝。でもそんなコト言いながら本番には一番強いんだ。半ばわたしと美奈子の緊張をほぐすための演技だって事ぐらい、長い付き合いだからバレバレ。
「ごめんねあんまり時間取れなくて」
そう言いながら調弦のための音を出してくれる美奈子。
「ううん。しょうがないしょうがない。それにココまで来たんだし泣き言は言いっこなし」
G、D、A線の調律を済ます。いつもどおりEにはちょっと手こずるけどそれも十数秒で済ます。
準備はできた。
もう、いつでもOKだ。
運営の柳沢くんに合図を送る。親指を立てて返事をすると、トランシーバーでいろんな場所に合図を送る柳沢くん。多分照明の子とか司会の子とかにだろう。
これでもう、ホントに後に引けなくなった。
本番。
最後の、本番。
「コレが最後かもね」
そんなコト、誰も言わなかった。イヤってほど分かっていたし、こんな時にモチベーション下げたくなかったから。
最初は美奈子と二人だけだった。バンドなんて雰囲気じゃなくて、単純に美奈子がわたしの練習に付き合ってくれてるだけだった。3歳からレッスンを受けてたらしい美奈子の伴奏は趣味のレベルを半分超えていた。課題曲だけじゃなくて、自分が弾きたい曲を伴奏付きで弾けるのが楽しくて、一時期猛特訓したのはもう何年も昔のこと。
そこに型破りの夏輝が飛び入り参加して、クラシックはジャズになってロックに化けてポップに進化した。与えられた楽譜を追うだけが音楽だったわたしと美奈子には、夏輝の音楽が眩しくてしょうがなかった。
レッスンなんてやってられなかった。美奈子も勉強を言い訳にして辞めたらしい。夏輝自身も吹奏楽部から脱退してきた。
そして結成された異色のバンド。常識の壁をぶち破って音色を混ぜるトランペットとキーボードとヴァイオリン。中三の文化祭は最高だった。その年の冬、三人とも同じ高校に進学が決まった時は泣いて喜んだ。
そして今。
二度目の奇跡はきっと起きない。
奥手だと思ってた美奈子に彼氏ができた。一つ上で、今はN大生。美奈子の受験勉強の一番の原動力。
夏輝も天職を見つけた。厨房に立つ様はもう一人前のシェフで、何より立派な社会人だった。
二人はもう行き先が決まってて、半ば生き方が決まってて。宙ぶらりんなのはわたしだけで、将来に希望なんか持てなくて。
だから練習しかなかった。
半分賞味期限が切れた音楽に縋り付いて、二人にワガママ言って困らせる事しか出来なかった。
こんなの、違う
そう、心のどこかで逃避だって分かってたんだ。
それでも二人は付き合ってくれた。見苦しいわたしのワガママに応えてくれたんだ。
だから…
だから!
今日の本番、ゼッタイ後悔させない。今まで一緒にやってきた二人のために、いい思い出を残すんだ!
開幕のベルが鳴る。
アナウンスが入る。
追憶が緊張で吹き散らされる。
涙なんか後で流せばいい
何もかも済んだ後で思いっきり泣けばいい
今はただ、やるんだ
わたしたちの音楽を
わたしたちの最後のセッションを
あふれ出た滴を服の裾で振り払って。
二人に目配せする。そして頷きあう。
外から大きな拍手。観客席とステージを隔てていた幕が開いていく。眩しいスポットが目の前を真っ白に染める。
そしてはじまる、わたしたちのステージ。
わたしたちの最後のステージ。
ビビってるヒマはない。
ビビる必要もない。
ただやればいい。
ノればあとは何とでもなる。流れが全てを運んでいく。
相棒とアイコンタクト。
タイミングを合わせる。
足踏みする。
ワン、ツー、
ワン・ツー・スリー
さぁ――
いくよッ!!
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