『 幻狼幻想物語組曲 』
第三楽章 ― 東雲 ―
〜 Dream of Harvest tail 〜
[ 狐色の追憶 ]
track07 ‹鶫と秋›
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去年のあの日
台風の前の曇り空
空に浮かぶ灰色の影は
いつもの倍のスピードで過ぎ去っていく
嵐が過ぎ去るのを待つように
鳥たちの姿は空になかった
ただ一匹
強すぎる風に翻弄される一羽を除いては
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時速80kmで流れる景色。まだ雨は降っていない。沖縄が暴風域に入ったと天気予報では聞いていたが、雨脚はまだここまでは迫っていないらしい。
太陽は辛うじて伺える。しかし風が強い。車体がたまに強風にあおられてハンドルを取られる。慣れた道とはいえ、無意識に手には力が入る。
いつもは渋滞する道もガラガラ。いつもは繁盛する店もシャッター。
人々が固く戸を閉ざす時間。
あたしが待ち焦がれた瞬間…
準備には丸一年かかった。
製作に一から携わったんだ。構造は全て頭に叩き込んである。二度も実際に作ったんだ。図面なしでも材料と工具と時間さえあれば何とかなった。
独力でのフライト。一度目は見事に失敗した。設計図とノウハウ以外の全てを自前で用意したあたしの初号機は、地面から離れるどころか動くことすらないままコケて大破した。
言うまでもなく大失敗だ。
あたしの貧弱な脚力では直径1.3mのプロペラを始動させる事ができなかった。
必要なのは最初の原動力。動き出しさえすれば、後はどうにでもなる。自身のスピードを揚力にして、理論上ではいくらでも飛べる計算になる。
そう、ただの机上の空論。
本来なら大人三人でやっと始動させる鈍重なスタート。あの時のパイロットは中学時代に陸上をやってた大石。スタート地点は海面から7mも上の発射台。全ての条件が揃ったからこそ、飛べた。平坦な砂浜から女一人で飛ばすにはいくらなんでも無理がある。
あたしが辿り着いた回答は風力だった。
パラシュートを機体前面に接続して、離陸後にパージする。その程度のギミックなんて、航空力学と物理学の複雑な計算よりもよほど簡単だ。
あとはタイミング。沖に向けて――つまりいつもとは逆方向に強烈な風が吹く瞬間を待つだけ。
そして廻って来た秋。
待ち焦がれた台風。
あたしはこの瞬間に去年一年を捧げた。
車を止める。砂浜に足をつける。
準備は手短に済ませなければならない。風向を正確に測ってフライトプランを立て、板切れを並べて滑走路を作り、バラバラにしてある機体を組み立てて、パラシュートのギミックをセットする。二度と来ないかもしれない一瞬のために。
トランクを開け、取り出したポール。先端にあしらえたのはツグミのカタチの風見鶏。
砂浜に突き刺す。そして曇天を見上げる。
怖れるな。行くぞ、ツグミ。
準備は無言で進む。手足は勝手に動く。何度もシミュレートしたとおりに、失敗を拭い去るように。
頭には走馬灯のように色々な事が浮かんでは消える。血と汗と涙と油とニスと木片とペンキと泣き言で汚れた、長いようで短かったこの一年。そして長いようで短かったこの一生。
そりゃそうだ。台風の海に出て無事で帰れる保障なんてどこにもない。
それでも飛ぶんだ。
あたしは、飛ぶんだ
バカでもいい。
どうしようもないバカでいい。
それでも、飛ぶんだ…
「つぐみー!」
暴風だけが支配する灰色の海に、あたしを呼ぶ声が割って入る。
…あのバカ…! 止めにきやがった
「来るな! 何言われてもあたしは飛ぶよ!」
振り向きざまに言い放つ。あたしの一年を…あたしの一念を台無しにされてたまるか…!
「んもぅ。何言ってもどうせ止まんないんだから止めないよ。応援、呼んできたよ」
「あ…アンタ…」
呆気に取られたあたしの視線の先には、お節介ミナトの他にも大石や赤羽や教授までいた。
…ったく…。余計なコトばっかり…
涙が出た
何故かは分からない
ただ、涙が出た
「飛行機は一人の力じゃ飛ばんよ」
いつもと同じ教授の言葉。でもいつもとは違う意味の言葉。
「ほう。パラシュートかね。綿にニス…ちゃんと環境に配慮しとるようだね」
「…一番安かっただけです」
一瞬で見抜かれるからムカつく。だから教授キライなんだ。
「乗りてぇならそう言えばいいだろう。素直じゃねぇ女だなぁ」
「黙れ! アンタに何が分かるんだよ!」
「はいはい悪かったですねぇお姫様」
とか何とか軽口を叩きつつも滑走路を正確に構築していく大石。悔しいけど力仕事はコイツが一番戦力になる。あたし一人なら一時間半かかっただろうけどこの分なら30分でもお釣りが来る。
「はいコレ。ライフジャケットとザイルです。死ぬって分かってて女の子海に出したら教授クビどころか逮捕されますよ」
そう言ってオレンジの上着と登山用のワイヤーを差し出す赤羽。
「自分の行動に少しは責任持ってください」
苦笑しながら差し出された手から装備を受け取る。
「うっさいな」
コイツ、どーも苦手だ。
「困った人だ」
「何とでも言いな」
出てくる言葉は心とは反対のコトばかり
でも、この気持ちを伝えられる言葉なんて、あるわけないじゃないか…。何て言えばいいんだよ、あたしは!
嬉しくて、情けなくて、どうしようもなく悔しくて、胸が苦しくて…
そんなどうしようもない気持ちをごまかすように体を動かした。
みんなバカだよ
あたし以上にみんなバカだよ
準備はみんなのお陰でとんでもなく早く済んだ。後はもう乗り込んで時を待つだけだ。
浜辺にはあたしの二号機。空には風向計兼パラシュートのギミック用の凧。そして脇には部屋から引っこ抜いてきてフライトのタイミングを計っている鶫の風見鶏。後ろには応援してくれる仲間たち。
もう、飛べる。
その瞬間さえ来れば、もう飛べる。
「じゃ、いってくる」
あたしの決意に対し、みんな思い思いの方法で送ってくれた。
ゴーグルをはめる。コクピットに入る。ハッチをしめる。
風向き良し。風量良し。
あとは踏み出すタイミングだ。
目を閉じる。
風を読む。
時の流れが限界まで遅くなる。全てがスローモーションになる。
ハッチの外がどうなってるか、手に取るように分かる。風が見える。風のうねりを触れる。
小さいころから夢見ていた。
あたしはきっと、生まれ変わる前は鳥だったんだ。風に乗り宙を駆け大空に舞い蒼穹に歌った。人の身に魂を押し込められ、翼を亡くしたあたしはずっと空に還りたかった。
其処こそがあたしの居場所
其処こそがあたしの還るべき場所
風を触れて宙を掴めるのに、なぜ空はあんなにも遠いのか。あたしは絶望した。そして渇望した。
今それが、やっと目の前に来た
もう少しだ…
あと少し…
もう少しで、風のカタマリが来る。それを捕まえたら――
いける!
3…
2…
1…
――
今だ!!
ワイヤーを力いっぱい引っ張る。凧が一気に地表に引き戻されて、逆にやる気なく砂浜に横たわっていたパラシュートが持ち上がる。そしてわずかに地面から起き上がったパラシュートが、ものすごい勢いで駆け抜けていった風の塊を捕まえて大きく帆を張る。パイロットシートに衝撃が走る。
「いけええええええ!!」
ペダルを力いっぱい踏みつける。
「コンタクト!!」
後ろでミナトが体重をかけてプロペラを始動させる。独りでは決して動かなかった最初の一歩、偉大な一歩が回転を始める。
「ゴー!!」
一瞬遅れて両翼を押す力強い加速。大石と赤羽だ。波打ち際に向かって一気に走り出す機体。追い風をさらに受け、衝撃が一瞬置いて浮遊感に変わる。
とん…だ…
一瞬我を忘れる
何もかもが白くなっていく
不確かな追憶
遥か彼方に在った憧れの場所
不恰好な翼で
不安定な体で
それでもあたしは
還ってきた…
…いけない!
バックミラーを確認して教授が合図しているのが目に入る。ハンマーを打ち下ろしてフックを外す。機体を引っ張っていたパラシュートが暴風にあおられてくしゃくしゃになって飛んでいった。
これで機体は加速装置を失った。
でも、飛んでる
飛んでる…
あたし、飛んでる…
涙が溢れた
還ってきたんだ…
大空の腕の中に
風の舞台に
在るべき場所に
あたしが在るべき場所に…
全てが想いを満たす。両翼で掴み取り、踏みしめた大気。頭上を覆い、突き破る虚空。手足で織り成す演舞を飾る呼吸。
空に抱かれている
空と一つになれている
飛ぶことだけを夢見ていた
空に還ることだけを願っていた
涙で視界はぐちゃぐちゃになった。でも、視覚なんていらない。
あたしには翼がある
あたしは空の中に居るんだ…
昔のようには踊れない
思うようには羽ばたけない
それでも。
今のあたしには翼があるんだ…
届かない記憶
白昼を彩る夢
後ろを飛んでいるあの鴉が誰なのか、あたしは覚えていない
遥か向こうを駆けているあの鷲が誰なのか、あたしは知らない
隣を飛んでいる鶫が誰なのか、あたしは思い出せない
あぁ、でも…
そう、でも。
あたしは此処に居たんだ
此処で舞って歌ってそして散ったんだ
空に散ったんだ
命の限り生きて飛んで歌って踊って
そして散ったんだ
ただ生きて、ただ飛んで
それだけが全てだったんだ…
フライトは意外と短かった。あたしには永遠にも感じられた一瞬。実際の滞空時間は30秒ちょっとだったらしい。
台風で逆立った荒波に捕まって、肉抜きだらけの機体は一瞬でバラバラにされた。水中で揉みくちゃにされて一瞬窒息しそうになったものの、機体がキレイにバラけてくれたお陰で一緒に海の藻屑にならずに済んだ。赤羽が用意したライフジャケットでプカプカ浮いて、数分もしないうちに大石がザイルを手繰り寄せて救出した。助からなくてもいいとまで思ったのに。翼のない肉体なんて棄ててやろうと思ったのに。これじゃ、大間抜けだ。
それでも…。
ああ、それでも。
あたしは、やった。独りの力じゃなかったけど。
――みんな、バカだよ
あたし以上にみんなみんな大バカだ
デリカシーもヘッタクレもない最低の連中だ。
それでも…
そう、それでも。
あの日が遠い過去になって、あのメンバーが写真の中だけの集まりになって、あの瞬間がセピア色の過去になって、もう何年経つだろう。みんなそれぞれ自分が歩むべき道へと散っていった。大学の数年間、それ自体が輝く一瞬だった。時間はあまりにもアッサリと過ぎ去ってしまった。
みんなが燃えてた毎年恒例のコンテストは、視聴率の低下やらスポンサーが手を引いた影響で、もうやらなくなったらしい。
あたしが空を手にする機会は、もう永遠に失われてしまったかもしれない。
それでも。
いつか戻る。あの場所に
不恰好な翼でもいいさ
情けない姿勢でもいいさ
それでも。
あたしは、まだ飛べる
あたしは、また飛べる
日焼けした写真が、それを証明してくれるから
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