『 幻狼幻想物語組曲 』
  第三楽章 ― 東雲 ―

 〜 Dream of Harvest tail 〜
   [ 狐色の追憶 ]

   track03 ‹悪魔と小悪魔›



 世の中でカッコいいって言われてるヤツは
 みんな揃ってバカばっかだろ?
 カッコよくなりたきゃ
 ただバカになりゃいいのさ
 カンタンだろ?



 都心環状は死人が多い事で知られる。市街地を囲むように走ってるせいでコーナリングがキツい。それに分岐が多くて判断ミスを誘うのも原因の一つ。
 時速250kmの世界。1秒間で90m進む。一瞬でも血迷ったら即座にあの世に直行だ。運がよければ再チャレンジが可能だが、自分と愛車のメンテにいくらかかるか分かったモンじゃない。

 アイツは行ったまま戻ってこなかった。何回かヤっただけの関係だから、別に葬式に出てやる間柄でもない。それに、アタシが行ったところでどうせ追い返されただけだろうしね。
 ツレの案内でやっちまったカンオケだけは拝んだ。酷い有様だった。コーナーでミスって吹っ飛んで50m下まで落っこちたらしい。下に停まってたトラックとしちゃサイアクだったろうね。家族もいくらふっかけられたか分かったモンじゃない。まったく死んでも迷惑なヤツだ。

 死ぬ数日前にアイツから聞いた。生意気な悪魔が出てるらしい。乗りこなせてないクセにやたら自慢してくるガキだそうだ。
 バカだね。
 ガキの一匹や二匹ぐらいシカトすりゃいいだけなのにおめでたいヤツだ。アツくなりすぎなんだよ。

 そうやってクールに過ごしてきたつもりだった。アツくなって二の舞なんざゴメンだからね。
 ただ、気付けばタバコと酒が増えてて暇を見つけては都心環状までインプを走らせていた。アイツとは別に何でもない関係だのに、何かがアタシの背中を這い回ってムシャクシャするんだ。

 AM2:00過ぎの環状線。車なんてほとんどいない。いつもどおりアクセル全開で分岐までの8kmを突っ切る。  何にイライラしてるんだろうね、アタシゃ。この頃毎日だ。店でも上手くいかない。下らない事で客を殴って下ろされた。
 ウザい
 なんで引っかかるんだよ、何でもない仲だったじゃないか
 あんなヤツの顔なんか忘れて二度と思い出さなきゃいいじゃないか
 何なんだろうね、アタシゃ

 不機嫌なままアクセルを踏みつけている最中、横を追い抜いて行った赤いランボルギーニ。
 何故か安心したんだ
 ホッとしたんだ
 あぁ、コイツだ。コイツがあの紅い悪魔だ。
 仇討ちなんてバカらしい男のゲームだ。下らない自己満足だ。アタシゃそんなのカンケーなくクールに生きるんだ。
 そう思ってたアタシはどこだろうね。
 紅いシルエットをガン見して、歯をむき出しにして笑ってる。

 嬉しいんだ
 何故だか、無性に
 余裕シャクシャクの相手を追いかけていって、追いついて飛び掛って首筋に牙を突き立てて食いちぎる。そんな狩猟本能を刺激する誘い。
 あぁダメだ
 コレじゃ狂犬だ
 だが、それでもいいんだ
 狂っちまっていいんだ

 アタシは、あの獲物が欲しい
 仕留めて臓物引きずり出して食い散らかしたい
 この衝動はもう止められない

 アタシの内心なんざお構いナシで好き勝手振舞うディアブロ。目の前で無駄に左右に首を振って挑発したかと思うとクラッチ切って空ぶかし、挙句にエンジンブレーキをかけてご丁寧に横に並んでくる。オマケにハイビームで数回パッシングまでする。
 小悪魔をおちょくって遊ぶたぁ品のない悪魔だね。間違いなく中身はガキだ。
 ウゼエ
 いいさ、乗ってやるよ

 テメエはアタシが仕留める

 クラッチを切って空ぶかしする。合図は…ないね。こんなド真中で。んじゃこっちから出すかね。
 ウインカーを右に出してコースを教える。ついでにクラクションを鳴らして1回目のカウントにする。
 好きなタイミングで出ればいい。最初から直線で勝とうなんざ思ってないよ。
 二回目のカウントがあっちから来る。癪に障るナメた音だ。
 後悔させてやるよ
 3回目のカウント。拳骨をクラクションに叩き付けると同時にアクセルペダルを踏みつける。体がシートに押し付けられる。
 隣からあっという間に追い抜いて行くディアブロ。アタシの目の前に出たかと思うとドンドン引きはがしていく。
 馬力見せ付けたいんだろ? どこのボンボンか知らないが、ご大層なオモチャ買ってもらって自慢したいんだろうね。
 死ねよクソガキ
 ブッ壊れる寸前まで過激にアクセルを吹かす。ついでに3秒後に突入するカーブにむけて姿勢を整える。
 肝心のコーナリングはどうなんだい悪魔サン。あんまりトロいとケツに噛み付くよ。
 先にカーブに入るディアブロ。テールランプを光らせて情けなく失速してから屁でもこいたような音を鳴らしてドリフトの真似ごと。
 ダサいね。クルマが可哀想だ。
 カーブに入る2秒前。クラッチを切って二速に切り替える。
 カーブに入る1秒前。ブレーキを一瞬踏んでからハンドルを切る。
 カーブに入る0.5秒前。サイドブレーキを一瞬引いてハンドルを思いっきり切って車を横倒しにする。
 カーブに入った直後。半クラッチでアクセルを踏み込む。エンジンブレーキで一瞬減速した後で理想的な立ち上がり。一瞬で三速に切り替えて車体を滑らせながらインを攻める。
 悲鳴を上げるタイヤ。外側に振り出されそうになる体。ハンドルにしがみついて、コンマ一秒たりとも視線を路面から外さない。齧り付いたカーブの端からあまり間を置かずにダサいケツが見えてくる。
 タイヤ鳴らしてる割にはグリップ二速じゃないか。笑わせる。
 何周目まで逃げ切れるかやってみな
 追いつかれたら終わりだよ

 間もなくカーブが終わり、直線に入る。またぶっ飛ばして距離を取るディアブロ。どんなヘタレでも直線で飛ばすぐらいカンタンだ。
 能無しにご大層なオモチャなんぞ持たせるからこうなる。
 アイツの気持ちがよく分かる。ああいうガキにはお仕置きが必要だ。
 5kmを一瞬で駆け抜けて再びカーブ。はるか先でまたしてもダサくテールランプを光らせるディアブロ。
 攻めるならコーナーしかないなやっぱり。しかもできるだけ連続で来て足が止まる場所じゃないといくら詰めてもまた離される。
 そうなるとあそこか…
 頭の中に地図を広げてハッと気付く。
 車線が少なくなった上に曲がりがキツい魔のカーブ。アイツがやっちまった場所だ。
 無茶しやがって…
 アイツのGC‐8は足回りよりも馬力重視。オマケに車重が軽いからヘタ打つと横にコケる。
 アウトから攻めようとしてミスって壁に直撃したな。でなけりゃコースアウトはない。
 性格ガサツなクセにクルマだけデリケートに扱うって冗談言ってたのはもう昔の話。オンナよりもクルマを大事にするようなバカがヘマしたんだ。相当アタマに血でも昇ったんだろう。
 仇討ちなんてガラじゃない。
 ただねぇ
 ムカつくんだよ、ああいうのは!
 五速に繋いでアクセル。一瞬四速でダウン。スピードをほぼ落とさずにカーブに突入。車体を倒して一瞬二速に繋いでからすぐさま半クラッチで三速に。
 快調だ。まだいける。
 大金つぎ込んで強化した足回りにはまだ多少余裕がありそうだ。細かいコトはディーラー任せでいまだにサッパリだが、相棒の機嫌ぐらい分かる程度には乗りこなしてる。かなり無理させてるが、もう少しはギリギリ粘ってくれるだろう。
 直線に戻る。魔のカーブまであとコーナー3つ。
 それまでに決着つけれるかね
 前を走ってるトラックを追い抜いてディアブロを目視する。直線で引き離された距離はだんだん埋まりつつある。  次の次のコーナーは3車線ある。あんなヌルい走りしてるんだ、まず確実に抜ける。
 問題はハブがもつかだ。インプのハブは脆い。今のところ問題はないが、何度も無茶させてブッ壊した経験がある。
 限界へのチャレンジ。こんなアブナイ走り、普段はしない。
 バカだなぁアタシも
 あぁ、トンでもないバカだ
 獲物のケツしか目に入らない。五速でアクセル全開にして、ただひたすらに追いかける。再びカーブに入って3速半クラッチで切り抜ける。スグ目の前に迫る赤い車体。
 いけるか…?
 やるだけやってみるか
 インから惰性でアウトまで首を振る。微妙な調整はクラッチでやって、エンジンは限界近くまでふかす。
 いける
 そう思った矢先だ。目の前でディアブロが首を振ってジャマしてきやがった。
 思わず舌打ちしてブレーキ。ギアを落として加速し直す。その間にディアブロにまた離される。
 ウザいテクだけはいっちょまえか。曲がり方もロクに知らないクセにジャマだけは達者たぁサイアクな悪魔だ。
 ――となると、だ。やっぱり奴さんが手一杯になるぐらい余裕がなくなるカーブで仕掛けるのが一番ってコトになる。
 あそこしかないか…
 魔のカーブ。この辺りの走り屋なら誰でも知ってる。ってより、イヤでも思い知らされる。誰だって1回は自分の実力が分からなくて、あそこで擦るなりぶつけるなりするんだ。アタシだってやった。200万飛んだ。あれ以来あそこだけは攻めた事がない。
 今なら…いけるか…?
 いや、やらずに諦められるか…?

 ――ムリだね。
 やらないとアタシの中で何かが終わらない。

 最後のアプローチ。最後のチャンス。生きるか死ぬかの瀬戸際。
 バカになるしかない
 賢く生きるなんて土台ムリなんだ
 唇の端を噛む。ハンドルを強く握り締める。ディアブロが入っていったカーブを睨みつける。
 やってやるよ!
 ブレーキを一瞬強く踏んでから車体を倒してカーブに入る。尋常じゃない曲がり方。身体が外に吹き飛ばされそうになる。相棒も悲鳴をあげる。サスが異物でも噛んだようにイヤな手ごたえを返す。ハブもそろそろ限界らしい。足回りのガタつきがヤバい。ヘタすると左の前輪が吹っ飛ぶ。
 まだた…
 せめてココが終わるまで…!
 集中力と車体のガタを押し切って縁石に隠れたディアブロに必死で手を伸ばす。また目の前まで生意気な姿が迫ってくる。
 だがたった2車線。悪魔サンが追越車線と走行車線にまたがってエラそうに走ってるお陰で抜くのは至難の業だ。
 インは、もうもたない。コレ以上ムリ言わせたらタイヤがもぎ取られる。
 やるならアウトだ。そしてコレが最後だ。

 考えてるヒマなんてなかった。
 1秒が長く長く引き伸ばされる瞬間。何もかもがスローモーションになる時間。人間らしい思考なんか悠長にしてるヒマはなかった。
 やるしかない
 今しかない

 踏み込んだ。クラッチを繋いだ。死ぬ覚悟で外にハンドルを切った。壁に直撃するかスピンするかの瀬戸際、返した。車一台分ギリギリの隙間に突っ込む準備が整った。
 クラッチを踏む足を少しだけ離した。ギアがさらにアクセルを強く噛み締めた。
 いける…
 やれる…
 立ち上がりに理想的な角度と速度。カーブが終わった瞬間に四速に繋げばもう確実に仕留めれる。
 胸が高鳴る
 心臓の音だけが全てを支配する
 最高の緊張。永遠にも思える一瞬。
 でも。
 高速回転しすぎて何もかもが後ろに過ぎ去っていく中で、アタシは見た。カーブの終焉にトロトロ走る10tトラック。

 あぁ、終わった

 アタシの中で何かが終わった
 さっきまでアタシが追い越してきた世界が、今度はアタシだけを残して凄まじい速度で逆流していく。

 ムリだ
 このまま行ったら死ぬ

 ブレーキを踏んだ。遠慮なく踏んだ。理想的な角度をわざと崩して後輪を外に滑らせる。外周にリアバンパーが擦れて致命的な悲鳴を上げる。直後にフロントバンパーもぶつかってスピンして、あとはもうグチャグチャにされて何が何だか分からなくなった。たっぷり3秒ぐらい脳ミソをシェイクされて、やっとその後で止まった。

 終わった…

 縋りつくようにハンドルに額をつける。
 何もかもが終わった

 たった1回の、理想的で奇跡的なチャンスを逃した。そして相棒がお釈迦になった。最低でもン十万単位の修理費がかかる。
 はぁ…
 重苦しい溜息を吐きながらシートに身体を預ける。もうこのまま死んでもいい。それぐらい疲れ切っていた。
 バカだなぁ、アタシ…
 男のゲームの真似事して、結局ムダなクラッシュして。アタシは何を手に入れた? 何を失った? 出て行くばっかりで何も取り戻してないじゃないか。帰ってこないコトぐらい分かりきってるじゃないか。
 なのに、何なんだろうね…
 虚しさだけが心を埋めていた。ってより、何も感じられなかった。
 何も思うコトなんてなかった。ただカラッポだった。
 虚しくもない、悲しくもない、切なくもない、悔しくもない。
 ただ、カラッポだった。

 ハザードをつける。シートベルトを外してドアを開ける。ついでにトランクを開ける。これからレッカーとマッポを呼んで、表示灯を置きに行かなきゃならない。追突されてコレ以上相棒をメチャクチャにされたらたまらない。
 車外に出る。そしてクリアできなかったカーブの先に視線を向ける。

 悪魔がコケてた。

 トラックはいない。接触したかどうかは分からない。ただ、盛大に悪魔がコケて情けなく腹を空に向けてた。空回りするタイヤ。どんな馬力でも空を掻いてちゃ毛ほども進まない。
 笑いがこみ上げてきた。何もかも忘れて盛大に笑った。笑って笑って呼吸できなくなって苦しくなってしゃがみこむまで笑った。

 あぁ、なんてバカなんだろう
 なんてアタシはバカなんだろう

 コレで本当に、アタシの中で何かが終わった。

 下らないゲームだった
 本当に、クソ下らないゲームだったよ
 失うだけで何も得られない、クソ下らない最低なゲームだったよ
 それでも。
 あぁ、それでも。
 コレで一つ、やっと終われるんだ。

 修理が終わったらアイツが死んだ場所に行こう。花でも手向けてやろう。そして言ってやろう。
「やってやったぞバカヤロウ」って。




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