見上げる先にはただ漆黒の闇ばかり。暗雲は星空を隠し月光を遮っていた。
地上から300m離れたタワーの上。夜風に裾を靡かせて遊ぶ。
根無し草はどこまでも漂う。
今日はどこで休もうか
今日はどこを狙おうか
誰もいない宵闇の空に向かって自分にしか聞こえない問いを繰り返す。
嬉しくもない
悲しくもない
虚しくもない
なにもない
ただ虚無の感情だけがそこにあった
「…誰だい?」
背後に気配。背中にイヤな痺れが走り、眉間に皺が寄る。論理式を探れば五重にかけた探知結界の一つがアラートを出している。
「おや、バレてしまいましたか。さすがですね」
声に続いて虚空から染み出すように姿を現す金髪の男。
「近付きすぎだ。コンスタント・ドメインに割り込まれて気付かない術師はいない」
「おや、そうですか。半径13mも常時展開しているとは恐れ入りました」
にこやかに応える男。
「余裕だね」
「いいえ? 闇討ちが失敗しましたから若干焦ってますよ? ただ、平常心を失ったら負けじゃないですか。何人もやられてるんですし油断はしませんよ」
「いい心がけだね」
デキるなコイツ。
感覚で分かる。そろそろソサエティも本気か。
まぁ、ココで墜ちるならあたしゃそこまでの存在だ。
「一つ聞いていいかい?」
鉄筋の上に立ち上がる。戦闘の準備をしながらあくまでも余裕を持って話しかける。
「なんでしょう?」
相手も応じる。顔色一つ変えずに話しながら、殺人的な量の魔力が集中していく。様々な論理式がそれぞれの周囲に展開し、美しい紋様を描いていく。
あたしも準備しないとね…。
虚空へと足を躍らせる。
《術式展開=フライ・ザ・スカイ》
一瞬置いて空中に身体を固定する。一瞬だけ半透明のラインで世界を覆い尽くすグリッド線が見える。
プラネット・コアとの相対距離:6357078.4723m。シー・レベルとの相対距離:328.3381m。イースト・ロンジチュード:139.745415。ノース・ラティチュード:35.658625。
取得した現在の相対位置を頭の片隅に追いやり、戦闘に必要な術式をアイドリング状態へ持っていく。身体の周囲に様々な紋様が現れ、暗闇を光で駆逐していく。
「あたしの今の罪状は?」
粗方準備が終わったところで肝心の質問内容を話す。コレがいつも楽しみなんだ。
「そうですね…。不法術式使用が57件、うち危険術式使用が49件、器物破損が26件、不法侵入が6件、窃盗が5件、重要文化財破損が3件、公務執行妨害が8件、傷害が16件。多分これだけです」
「増えたねぇ」
「あなたが大人しく捕まらないからです」
そりゃごもっともだ。結構結構。実にいいねぇ。これで稀代の犯罪者だ。
「で、もしも捕まったらどうなるんだい?」
「死罪はありません。ただ禁固刑は確実でしょうね」
「用事が済むまでは、だろ?」
「それは僕の口からは。」
まぁ、だろうね。ややこしいねぇ公僕は。
「じゃ、今度は僕から一つ質問いいですか?」
ほう、面白いヤツだ。
「構わないよ。ご丁寧に教えてくれたお礼にあたしに答えられるコトなら何でも答えるさ」
「じゃぁ、聞きます…」
さっきまで穏やかだった表情が一変する。
「何故、こんな事を…。マレーネ=マギナ=アグリッサ…貴女程の術師が何故…? 僕は貴女に憧れていたんだ。何が貴女を変えてしまったんですか」
ふぅん?
アツいねぇ男は。あたしもいつの間にか有名になってたんだ。
「飽きたんだよ」
「…は?」
間抜け顔を見せる男。
「技術開発、技術支援、修練、民間への奉仕、災害支援活動、要人警護…なんでもやったさ。でも飽きるんだよ、全部」
「…飽きる、ですか…」
男の歯軋りはあたしにも届いた。
「そうさ。あたしは自分の中に決して埋まらない何かを抱えてる。その何かを埋めるために今まで何でもしてきた。知識と技術さえあれば術式は何でも叶えてくれる――そんな幼稚な御伽噺を信じて何でもやったさ。
でも、何をしたところで埋まらなかった。
だからあたしが今までやったコトのない方面へアプローチしてる最中なのさ。未知への探求こそ人を全知全能へ誘う道、だろ?」
「もう…いいです。よく分かりました」
男の握り拳が何かを殴りつけようと震える。残念だが新しいオブジェクトを生成しない限り、虚空に八つ当たり出来るような物体はない。
「冷静さを失うと墜ちるよ? それに、あんまりアツくなると民間人巻き込む」
忠告を投げてやる。死なないように助けてやるのも一苦労なのに、いっつも全力でぶつかってきやがるからね。後始末が大変だ。
「構いませんよ、そんなの」
怒りの灯った目でこっちを見据える男。
ったく。コレだから優等生は苦手なんだ。
「ほう。聞き捨てならないね。目的のためなら赤の他人がどうなろうと知ったこっちゃないと」
「貴女に言われたくない」
まぁ、それはごもっとも。だがね。
「あたしゃ民間人を巻き込んだ覚えもないし、人を殺した覚えもないよ」
「でしょうね。ただ貴女は大切なものを破壊した」
ほう? まぁ、否定はしないね。
「議長の屋敷のコトかい? それとも警備装置? いや、ソサエティのメンツとか信用とかそういう類のモノか。まぁお偉いさんにとっては頭の痛い問題だろうね」
「いいえ。そんなものはさしたる問題ではありません」
ふぅん?
「じゃぁ、何なんだい、それは」
「僕の気持ちです」
「ぶっ」
聞いた瞬間、思わすふいた。大笑いした。久々に大笑いした。
「何がそんなに可笑しいんですか」
子供のような表情と口調で言う男。カッコよくシメたつもりだろうが、ガキだよガキ。アンタはガキだ。
「だってアンタ…バカじゃないの?」
「ええ、確かにそうでしょうね。非常に下らない事で怒り、非常に下らない事で貴女に私怨を募らせているんですから」
「ああ、くだらないね。クソくだらない」
遠慮なく言ってやる。独白や泣き言なんて全て一蹴する。
「そんなクソくだらない事でアツくなれるんだ。アンタは幸せ者だよ。
だから、あたしみたいな下らないヤツのために誰かの幸せを奪っちゃいけない。アンタには誰かを幸せに出来る才能がある」
「そんな…! それを言うなら貴女の方が――」
「それは買いかぶりさ」
ゆっくりと、溜息を吐く
あぁ
だからさ
だから、やめたんだ
「あたしが出来るのは現象と結果を作るコトだけ。誰かが幸せになるとすれば、それはあたしが作った結果から生じた現象だ。あたしの功績じゃない」
「そんなバカな! 何故!」
あぁ、理解されないだろうね。だが、あたしがダメなんだよ、それじゃ。
「あたし以外の誰かが同じ結果を作っても、そこから派生する新たな現象の性質に差は無い。あたしというのは結果を生み出し現象を生み出すファクターではあるが代替が利かないものではない。
要するに、誰でもいいのさ。あたしじゃなくてもいい」
「…たったそれだけのために…?」
「いいや? それで満足できないのも確かにそうだが、それ以上に怖いのさ」
「何が…?」
「未来が。」
男は黙った。
「誰もが使える便利な道具、誰もを幸せにする便利な技術、そんなの時間が経てば当たり前になり、やがてゴミになる。新しいものが次々に開発される。新しいものを次々に開発する必要がある。でもその先には何があるんだい?」
返事はなかった。
誰だって答えられないだろう、きっと。
誰も考えてないのさ。目の前の未知を既知にする事だけに注力して、既知で世界を埋め尽くした先に待つ虚無を誰も想像しやしない。
知ってるかい? モンスターもミスティックも未知の中にのみ存在できるイリュージョンなんだ。
神槍の一撃は雷になった。
魔犬の咆哮は雷鳴になった。
そうやってブラックボックスを解体して世界からモンスターとミスティックを駆逐して、その先に何があるんだい? 術式も科学になりつつある。もう300年もしたらきっと民間に普及する。そうなれば魔法なんてどこに存在できる?
人の心や命の輝きがロジックで説明がついてしまったら、ロマンはどこに残るんだい? 人の反応が明確な原因に基づく法則性を伴う結果に過ぎないと証明されてしまえば、あたしはどこにロマンを見出せばいい?
誰もそんなコト考えもしない
「アンタは幸せだよ。自分の気持ちが実は明確な法則性を持った単純なロジックを基にして構築される単純な現象に過ぎないんじゃないかなんて考えてないだろう? そういう人間じゃないとダメなんだよ。幸せになれないんだ。誰かを幸せにする事もできないんだ」
だから、アンタみたいな人間が他人を不幸にしちゃいけないんだ
「それで、ですか」
男は何かを握り潰すように拳を強く握る。
「ああそうさ。解ったろ? あたしは犯罪者以前に人間として欠陥品なんだ。マトモじゃないんだ。アンタはただ、正義のためにあたしを斃せばいい。それが世界のためだ」
それを聞いた途端、殺人的な視線であたしを睨みつける男。
「……最低だ!」
「ああそうさ。最低だ」
怒号なんて軽く受け流す。
「僕は…許さない!」
「構わない。好きにしな」
何を投げられても動じない。対処法は全て解っている。防衛の準備は出来ている。
「連れ帰ります。そして貴女の心を蝕む病のロジックを解明する」
「それであたしが真人間になったとして、それが調整された人形でないとどうやって証明する」
「人間だから人間です」
「非合理的かつ非論理的だね」
「当たり前です。人間はロジックじゃない」
フッ…
バカみたいに直球だねホントに。
「その論理がまかり通るなら、あたしはなんて下らない問いに時間をかけてたんだろうね」
「過ちを犯すのも人間の特徴ですから仕方がありませんよ」
「強引なリレーションだね。合意できない」
「なら力ずくで証明しましょう」
停止していた術式が動き出す。周囲に力場を形成し、空間に偏在するエネルギーをかき集める。
「好きにしな。既に生成されたロジックがそれを阻む」
応じてあたしも術式を動かす。待機中の術式のロックを外していく。
「不可能への挑戦が人を幸福へと導く」
「そして全ての不可能を克服したとして、全知全能を手に入れれば幸福になれるのかい?」
「創ればいい。人が全知全能ならば可能でしょう」
人工の幸せ、か。
――気に入らないね。
「他人が創った感情で支配されるなんて気に食わないね」
「完成するまでブラッシュアップの繰り返しなのは当たり前です。誰かを不服にすればそれは完成品ではない」
よく言う
「手始めにわたしをテストケースにするつもりかい」
「さぁ? 開発にはまだ着手していませんから」
「気の遠くなるハナシだね」
フン。まぁ、夢があるのはいいコトだ。
「まぁ、やりたいようにやりな。現実性を欠くアプローチだが個人の自由は尊重されるべきだからね。ただしあたしの行動を妨害する行為に於いては迎撃措置を取る」
夢の果ては虚無なのか
それとも夢の果てに夢を創ればそれは新たな夢足り得るのか。
分からないが故の挑戦ならば、人間とはどうしようもないほど愚かな生き物だ
本当にどうしようもないほど、愚かな種族だ
「いつでもかかっておいで」
何故だか笑えた。口の端を軽く吊り上げる。
「では、参ります。」
そう言って男は消えた
見せてごらん、傲慢な人間のチカラを
傲慢な人間の可能性を
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