――ハーマン
 
 
「 あるところに、幼い少年がいました。少年は中途半端(ちゅうとはんぱ)に狼の姿をしています。だから狼にも人間にもなれず、苦しんでいました。でも、幼馴染(おさななじみ)の友達二人が仲良くしてくれたので、少年は割に幸せでした。
 でも、少年も歳をとり、幼馴染とあまり会えなくなってしまいました。少年は人間の子供たちに(いじ)められ、狼にもあまり助けてもらえませんでした。少年は誰からも必要とされていないんだと思い込み、自ら命を()とうとしました。必要とされないというのは、その少年にとって()(がた)い苦痛でした―― 」
「 ちょっと待ちな! 」
 アニエスが口を(はさ)む。
「 なんだい? いいところなのに。人の話は最後まで聞こうよ。いっつも先生に注意されてたクセに未だに(なお)ってないんだから 」
 僕は苦笑する。
「 あんたねぇ! 」
 逆鱗(げきりん)にでも触れられたかのように本気で怒るアニエス。と、そんなアニエスの肩に手を置き、無言で首を横に振るヴァディス。
 ――さすが姫。よく分かっていらっしゃる。
「 続けていいかな? 」
 ヴァディスは無言で頷く。アニエスはそんなヴァディスに抗議(こうぎ)の視線を送っていたが、アニエスは無言でそれを(さえぎ)っていた。
 さて、と。再開しようか。
「 ――命を絶とうとした少年は、家の台所に向かいました。そして包丁を手にとって、自分の胸に向けました。でも、少年は結局自分の胸を(つらぬ)く事は出来ませんでした。少年は(くず)れおちて泣きました。自分は何故(なぜ)死ねないんだ、と。
 そこで、少年はふと気付いたのです。死ねないのには理由があるのではないか、と。それが何なのか、少年は探しました。そして思い当たりました。
 あぁそうか。自分は幼馴染の二人にお礼を言っていなかった。ありがとうも言わずに死んでしまうのは(いささ)か無礼が過ぎるだろう。
 思い立った少年は幼馴染に会いに行きました。  そうしたらどうでしょう。幼馴染の一人がまだ死にたくないと言って泣いているではありませんか 」
「 な――! 」
 思わず声を上げたアニエス。
 ――そうだよ。最初からいたよ。全部聞いてたよ。なんで気付かないのか不思議だったぐらいさ。
 隣でアニエスが真っ赤になっている。怖いなぁ。頼むから噛むなよ。
 僕は続けた。
「 少年はふと自分を振り返りました。
 自分も死にたくはないのではないか?
 少年は疑問に思いました。
 少年はいろいろ知っていました。幼馴染が色々な重圧(じゅうあつ)を背負い、それにも負けないように一生懸命生きていることを。かたや竜姫様のご子息。かたや貴族のご令嬢(れいじょう)。どちらも並の肩書きではありません。そんな重い荷物を一生背負って生きていくのはさぞ辛い事でしょう。少年には分からない苦痛でした。
 でも、少年はその苦痛を羨みました。それは誰かに――少なくとも親に必要とされている。それは必要とされない事よりは遥かにいい事なのではないか。幼馴染がまだ死にたくないと泣いていたのも納得がいきます。彼女はきっとそれに応えたいのでしょう。応える前に死んでしまっては申し訳が立たない。そう思っていることでしょう 」
 アニエスがこちらを()め付けているのがはっきりと分かる。僕はそれを()えて無視して続けた。
「 少年は思いました。自分も誰かに必要とされたいと。自分も誰かの役に立ちたいと。少年はそう、(せつ)に願いました。
 誰に必要とされたいのか。
 少年は答えを(すで)に知っていました。
 少年は幼馴染の二人に必要とされたかったのです。だから、少年は聞いてみたくなりました。幼馴染の二人に、自分を必要としているのか、と 」
 さっきまで僕を睨め付けていたアニエスの視線が変わった。
「 少年は、既に何が一番幸せか心得ていました。だから、死など恐れはしませんでした。自分が誰からも必要とされない事の方が、死んでしまうことよりよほど辛い事だと、少年は知っていました。自分の命よりも大切なものが何なのか、少年は知っていました。そして、自分の命よりも大切なものを手に入れた時、命など投げ出しても構わないと思うことが出来ました 」
 アニエスの表情が、だんだんと変わっていく。
「 死ぬ事は残念だけど、怖くはない。少年は今、そう思っています。そして、自分に命があることを喜んで、もう二度と自殺なんてしないと心に誓いました。命は一つしかないんだから、そんな無駄な使い方なんてしたくないんだ、と少年は思いました。
 そして、死を恐れて立ち止まっている幼馴染に知ってもらいたいと思いました。
 命よりも大切なものさえ見つければ、死ぬことなんて怖くない、と 」
 悪戯っぽい笑みを浮かべ、アニエスへ向き直る。
「 昔話はこれで終了 」
 アニエスは(ほう)けたような顔で僕を見つめ返していた。
 ――やめてくれよ。てれるじゃないか。
 苦笑しながら僕は立ち上がる。夕日を真っ直ぐに見据(みす)え、そして振り返る。
「 じゃあね。お邪魔しました 」
 後ろ手を振って別れの挨拶(あいさつ)にする。夕日に背を向け、一人歩む。振り返ることなく。
 ――呼び止めてくれなかったらぐれちゃうぞ
(ため)す気? 」
 心を見透(みす)かしたような言葉。僕は(あわ)てて振り返る。
 悪戯(いたずら)な表情のヴァディス。
 ――なんでもお見通し、か。
「 柱が一本抜けてしまうだけで、屋根は支えられなくなっちゃうよ。冷たい雨から身を守って、みんなで暖まれる場所を作るって言ったの誰? 」
 ――そうだよ
 そうさ。
 僕は振り返る。
 そして、言った。
 
「 ありがとう 」
 
 笑顔で、言う事が出来た
 僕は、必要とされてるんだ。
 まだ、死ぬわけにはいかないんだ
 
 柱は、まだ折れたわけじゃないさ