scattered piece : 2 Promise Youeself 〜 約束は胸の中に
 
 
 ――バート ( ヴァンガード ・ クレイク駅 ・ 改札前ファストフードショップ )
 
 
「 マックも毎日だとさすがに飽きるよな 」
 ついつい本音は出てしまうもの。デフレの象徴たるマック。万年金欠の俺たちが餓死がし)せずに済んでいるのは、(ひとえ)に1ダラーで買えるハンバーガーのお陰だ。否応(いやおう)なく足を運ぶ回数は増え、結果的に飽きてしまうのは仕方がないコト。むしろ、年間の食事の五分の一をマックでまかなっているような有様(ありさま)だから、内臓を痛めたり看板を見ただけで反射的に顔をしかめても良さそうなものだケド。ま、幸い二人ともそこまではいっていないらしい。 『 空腹は最大の調味料なり 』 とはよく言ったもんだ。
 ヴァンガード市内、クレイク駅の改札のまん前。それが俺たちの現在地。殆ど駅構内といってもいい場所に、俺たちが食事しているマックは(きょ)を構えている。そもそもこの場所は線路の下で、電車は三階建ての建物ぐらいの高さの高架の上を走っている。そんなわけで電車が通るたびに多少うるさくなるけれど、結局年間通してここで食事する事が多分一番多いと思う。というのも、渡り鳥(マイグラント)ギルドのヴァンガード支部がこのクレイク駅のすぐ隣にあるからで、一番近い上に一番安いんで、ま、簡単に言えばものぐさな俺たちにはうってつけってワケ。食った後は、駅の南口から一歩出るだけで到着するクレイク公園の噴水前のベンチで、外の風に当たりながら日向ぼっこするのが日課だった。いつもどおりの日常的な昼下がりだ。
 空になった紙コップの中の氷をストローでかき回すのもいい加減飽きた。ハンバーガーはもう三つとも胃の中だ。向かいに置いてあるアイリーンのポテトに手を伸ばしても途中でチョップが飛んできて痛い目を見るだけ。前後から聞こえてくる喧騒に耳を傾けてみて、もどちらの話題についていけそうにない。ヒマなのでテーブルに頬杖をついて外を眺める事にした。ガラス張りの壁面の向こうには、少なくとも店内よりは面白い光景が見られそうだ。
 外は快晴。いつもと変わらず忙しなく流れ続ける人の波。平日だろうが休日だろうが、この時間帯のここの人通りは減る事がまるでない。目の前に口をあける地下鉄の出入り口や、その向こうの歩道橋からひっきりなしに人が流れてくる。ある人は駅から地下鉄へ。ある人は地下鉄から駅へ。またある人は駅から歩道橋の先のどこかへ。ここの人通りが絶える時は、深夜かもしくは人類が滅びそうな大災厄(さいやく)でも起こった時だけだろう。
 歩道橋がまたいでいる国道23号線のさらに上には、都市高速三号線の高架がまるで屋根のように車道と並行に走っている。高架道路とそれを支える太い鉄筋コンクリートの支柱の隙間はハトの集会場になっていて、その下の歩道橋や23号線には雨が降らない代わりに晴れでも鳥のフンが降ったりする。春先から夏にかけては歩道橋付近の桜の木から毛虫まで降ったりするので、一部の関係者からは恐怖の歩道橋と呼ばれていたりとかする。あまり関係ないケド。
 で、その向こうは銀行や証券取引所のオフィスビルと、古本屋やCDショップやレンタルビデオ屋なんかが軒を連ねるショッピングアーケードが居並ぶ大通り。23号線と十時交差し、オフィス街と商店街が中央分離帯を挟んで共存するという奇妙な通りの名前はアルハーバー通り。そのまま直進すれば中央警察署を経てオタクと電化製品の街・オールミンへ出て、さらにまっすぐ行けばヴァンガード総合駅に突き当たる。
 ――でもなぁ…。やっぱり飽きるものは、飽きる。
 いつもと変わらない日常の風景にも、そしてマックのハンバーガーの味にも。
「 少しは他のものも食いたいよなぁ。ちゃんとした野菜料理とか恋しくないかい? 」
 街並みを見ていても特に楽しい事もなかったので、視線を店内に戻して試しにアイリーンに聞いてみる。
 マックにも野菜はないワケじゃぁないけれど、いかんせん高い上に味がビミョー。サラダ一つで3ダラー、そこにチキンが加われば5ダラー。それぐらいなら少し離れててもドトール行ってヘルシーな野菜サンドを注文した方がコストパフォーマンスは圧倒的に上だろう。
「 贅沢言える身分じゃないでしょ。料理長(レイ)が留守でもいいもの食べたいんなら自分で料理を覚えたらどう? 」
 返ってくる答えは相変わらず手厳しい。
「 んな事言われてもなぁ。オトコが料理ってなんか似合わなくないかい? 」
「 男女差別? 」
「 そうじゃないけどさ… 」
 思わず顔をしかめる。
 ――まぁ、確かに言い方が悪かった。男ってよりは、むしろ俺だ。悪友(ジャン)に 「 筋肉ダルマ 」 なんてあだ名で呼ばれる俺が料理しても似合わないだろう。いや、どう考えてもヘンだ。
 
 
「 あの…すみません。おとなり、よろしいですか? 」
 声をかけられたので振り向く。見れば、女の子を連れた女性――まぁ、十中八・九(じっちゅうはっく)で親子だろう。そんな二人連れが、品物を乗せたトレイを持って隣に立っていた。
「 あ、どうぞお構いなく。ほら、アイリーン 」
「 分かってるわよ。子供扱いしないで 」
 アイリーンはトレイを引いてすぐさま隣の椅子にずれると、元々座っていた場所を親子に渡した。四人分の席を二人で独占するのはさすがに悪い。いつもなら混んでる時でも誰も隣に座ろうとしないけど、ま、何事にも例外はつきものか。
 と、テーブルの下で足を蹴られる。視線を正面に向ければアイリーンが視線で「邪魔」と訴えていた。このとおり、小さなテーブルと椅子は図体(ずうたい)のデカい二人が座るには少しばかり小さすぎる。渋々椅子を引いて壁際(かべぎわ)に体をずらす。
「 どうもすみません 」
 ご丁寧(ていねい)に頭を下げる奥さん。
「 いえいえ、とんでもない。むしろこっちがお礼を言いたいぐらいですよ 」
 そう言って笑顔を向ける。対して俺の言葉の意図(いと)(つか)めなかったのか、母親が若干(じゃっかん)神妙(しんみょう)な顔をする。
「 俺たちの事を差別的に見てくる人ってやっぱり多いんで。嫌な目で見ない人が一人でもいてくれるって事は、ありがたいことですよ 」
 対して母親は会釈(えしゃく)一つ返して席についた。
 …余計な事言ったかな…
 こんな場所で差別だの偏見(へんけん)だの、暗い話題になんて触れたくないだろう。軽く言ったつもりだったけど、場を(わきま)えなかったな…
 少し後悔した。
 しかし、思うに親子二人連れ。昼間は仕事で留守中のご主人を抜いて、親子水入らずで昼食かな。平和だよな〜、この街は。お陰でこっちは商売あがったりだ。仕事がない事は社会的に見ればいい事だけど、財布(サイフ)(のぞ)けば笑顔が空笑(からわら)いになる。思えばヤクザな商売だよな〜、渡り鳥って。
 苦笑するしかない今の情況(じょうきょう)はとりあえず置いといて、何とはなしに向かい側に座った子供の方に視線を動かした。小さい背丈(せたけ)で頑張って椅子に登ってやっと腰掛ける。母親がお手拭きの紙をナプキン代わりにテーブルにしく。その上で母親から差し出されたポテトを一本ずつ受け取っては口にする。仕草も顔もずいぶんと可愛らしい女の子だ。
 と、(ひざ)の上で小さな手に抱きかかえられている画用紙が何となく気になった。買い物帰りかな。幼稚園で絵でも描くのかもしれないな。
「 画用紙貰っちゃったね 」
 母親がそう言って女の子に声をかける。
「 お父さん描くんだって 」
 笑顔で話しかける母親。
 そういえば、今日は 『 父の日感謝デー 』 とかなんとかで、入り口で小さい子に画用紙を配って 「 お父さんの似顔絵を書いてください。描いて持ってきてくれた方の絵は当店に飾らせていただきます 」 なんて言っていたのを思い出した。耳を立てれば未だにそのサービスだかイベントだかを続けている店員の声が喧騒(けんそう)の向こうから聞こえてくる。お(ねつ)なコトで。望むならクレヨンまで貸与(たいよ)してくれるそうで、ガラス張りの壁面の一部は(すで)に数枚の画用紙でコーティングされていた。稚拙(ちせつ)な絵ではあるけれども、微笑ましい光景でもあった。
 ただ、それが壁一面にもなると、道行く人はちょっとギョッとするかも…
 そんな光景を想像して、思わずもれそうになる苦笑を噛み殺す。
 と、
 
「 うち、お父さんいないのにね… 」
 母親のその(つぶや)きで、周囲から一切の雑音が消えた。後ろの席から(ひび)いてくる笑い声や罵声(ばせい)は、最早(もはや)別世界の出来事だった。
 
 (となり)に座る母親の顔を見ようとしたけれど、結局(かな)わなかった…
 思わず()らしてしまった視線を何とか再び子供へ向けると、親から(もら)ったポテトを黙々(もくもく)と口に運んでいた。
 幼いのに、恐らく分かるんだろう。死という事が、どんな事なのか…。その真剣な視線は、何もないテーブルの上を黙々と見つめ続けていた。(ある)いは、そのもっと向こうを、どこでもない場所を、一心(いっしん)に見つめ続けてていた。
「 ――ねぇ、お(じょう)ちゃん 」
 と、少女に声をかけるアイリーン。
「 おい、アイリーン 」
 余計な事に首を突っ込もうとするアイリーンを(あわ)てて止めに入る。しかしアイリーンは一瞥(いちべつ)くれただけで制止を視線で押し切った。「 邪魔するな 」 と無言で言い放つその視線に、思わず出かけた言葉を飲み込む。
 再び視線を元に戻し、少女に語りかけるアイリーン。少女の無垢(むく)な視線とアイリーンの真剣な視線が交わる。
「 お嬢ちゃんは、お母さん好き? 」
「 …… 」
 子供はアイリーンの顔を真摯(しんし)に見つめ、言葉でなく首肯(しゅこう)で返事をする。それはどんな言葉よりも確実に、正直に、少女の気持ちを表していた。修飾のいらない一途(いちず)な想いだった。
 それを見て優しく微笑(ほほえ)むアイリーン。
「 じゃぁ、お母さんを大事にしてあげてね。大切な人が手元から(はな)れていかないように、しっかりと手を(にぎ)っててあげてね 」
 アイリーンの言葉に、少女はまた深く(うなず)いて返事をした。その様を見てアイリーンがまた微笑む。言葉のやり取りは一方的ではあったけれど、それでもしっかりとしたコミュニケーションだった。こんな短い間にも、少女とアイリーンの間には何かしらの強い(きずな)が、そして深い理解が出来ていた。
 と、少女が席を立つ。どこへ行くのかと思いきや、母親に()()ってその手を強く強く(にぎ)()めた。まだほんの小さな手の平なのに、母親の指を数本やっと握れるほどの小さな手なのに、少女は力いっぱいその手を握っていた。たとえ見た目が子供であっても、絆の強さは一人前以上にも見えた。
「 席、かわって 」
 アイリーンは俺に席を立つように言う。視線は有無を言わさぬものだった。
「 分かった 」
 返事をして席を立つと、ついでに積載物(せきさいぶつ)がゴミだけになったトレイを片付けてくる事にした。
「 すみません。何から何まで… 」
 申し訳なさそうに頭を下げる奥さん。
「 とんでもないですよ。俺の方はもう食べ終わってますし、ちょうど片付けにでも行こうかと思ってたとこですから。あ、ちょっと、後ろ失礼しますね 」
 そう言って奥さんの後ろを通ってトレイを片付けに行く。
 何だか、あの雰囲気(ふんいき)には俺がいると邪魔(ジャマ)みたいだしな…。娘さんが座っていた席につくのも何となく躊躇(ためら)いがあるし…
 ダストボックスの前に着く。ちゃんと指定どおりゴミを分別すると、トレイを置いてもと来た道を戻りかけようとする。しかし、足は思ったように進まない。何となく、こうやって遠くから見ていた方がいいような気がしてきた。
 奥さんは娘さんを抱きかかえると、隣の席へと座らせる。抱えられた時に一度は放した娘さんの小さな手は、移動後に再び奥さんの手を握った。それは頑なで一途な、そして優しい想いだった。奥さんとアイリーンの優しい微笑を送られ、それでも娘さんは頑なにその手を握り続けた。アイリーンは少女が忘れていったナプキンを少女の席へと移動させた。
「 すみません。ご迷惑をおかけしまして 」
 奥さんが突っ立っている俺の方へ(あやま)るので、こっちも頭を下げる。こりゃ、席に着かざるを得なくなったな。
「 いえいえ。こちらこそ不躾(ぶしつけ)な真似をしまして申し訳ありません 」
 歩を進めて席に着くと、隣のアイリーンにも謝れと目配(めくば)せする。けれど、見事なまでにそっぽを向かれて無視される。確かに、謝る気があるのなら最初からあんな事言わないだろうけど。
 一瞬だけ視線を合わせたアイリーンは、俺の視線を鼻であしらうと相変わらず娘さんに微笑みかけた。そのおかげでか、娘さんの(かたく)なだった表情が、ほんの少しだけ(やわ)らいだような気がした。
 ま、娘さんの緊張(きんちょう)をほぐすダシにでもなってりゃ、いないよりはマシか。
 そう割り切って(あきら)めることにした。

「 わんわんのおねえさんも、おとうさんいないの? 」
 先ほどまでは(だま)っていた娘さんが、アイリーンに真摯(しんし)な問いをぶつける。今度は奥さんの方が娘さんを止めようとするが、アイリーンはそれもまた視線で制した。
「 お姉さんも、お父さんいないのよ。お母さんもいないし、おばさんももういない。お姉さんのおうちはなくなっちゃったの 」
 優しくゆっくりとしたテンポの口調で、アイリーンは静かに告げた。その声に触発(しょくはつ)されて、色()せた風景と、感覚を無くした痛みとが少しだけ脳裏(のうり)に呼び起こされる。もう、(はる)か遠くにある過去。二度とは来ない時間。
「 でも、お姉さんには頼りになるお兄さんがいるし、仲良しのお友達もたくさんいる。だからお姉さんは(さみ)しくないし、泣かなくても大丈夫。困った時や寂しい時はお兄さんやお友達や、天国のお母さんが(はげ)ましてくれるから。だからお姉さんは大丈夫 」
 アイリーンはそう言って娘さんに優しく(うなず)きかけた。
「 お母さんやお父さんの代わりになる人なんて、世界じゅう探しても絶対にいない。でも、お姉さんを助けてくれる人や、お姉さんを支えてくれる人は、お母さんやお父さん以外にもきっとたくさんいるから。だから、お姉さんは大丈夫 」
 アイリーンの笑顔に答え、娘さんがついに緊張を完全に解いて顔をほころばせる。
「 お姉さんが大丈夫だったから、お嬢ちゃんもきっと大丈夫。ね? 」
 それを聞いた娘さんの顔に、ついに小さくはあるが、笑みが生まれる。
「 あ、そうだ。ごめんね、お食事の邪魔しちゃって。冷めちゃうから食べよっか 」
 アイリーンの言葉に娘さんが頷く。そして、頑なに離さなかった手を片方だけ解き、再び可愛い動作でポテトを食べ始める。
 ああしてると、とても心に傷を負っているようには見えないんだけどな…
 ハムスターとかリスとかいった類の小動物を髣髴(ほうふつ)させるその挙動(きょどう)。子供とは、本来そういうもの。自然な姿でいるのが一番いい。
 …にしても、アイリーンもよくやる。落ち込んでいる子供を立ち直らせるなんてそうそう誰にでも出来る事じゃない。少なくとも、子供が苦手な俺にはとても真似(マネ)できないな。
 思わず顔をほころばせる。
 娘さんもアイリーンも、きっと今の瞬間が一番輝いてる姿なんだ。
 …なんか、ホント場違いだよなぁ、俺。
 と。
「 あの…わたくし、ユミコ=サイトウと申します。この子がサユキです。よろしければお名前を教えていただけませんか? 」
 奥さん――ユミコさんは、そう言った。
「 アイリーン=レマールド。この辺りを根城(ねじろ)にしてる渡り鳥よ 」
 応えて名乗るアイリーン。
「 …… 」
 先に切り出したアイリーンに続こうとしたけれど少し迷い、口に出す言葉を(あらた)める。
「 …ヴァーツラフ=アルグリフ…。シャンソン出版の前副社長の(せがれ)です 」
 俺の言葉を聞いた瞬間、ユミコさんがあからさまに、そしてアイリーンが若干表情を変えた。
「 今はバート=リニアルと名乗り、アイリーンと放浪生活するただのプータローですよ 」
「 …… 」
 ユミコさんは事情を察したのか、それ以上踏み込んでくる事はなかった。
( …いいの? )
 そう視線で問い()けてくるアイリーンに頷き返す。
 いいんだ。心配する事はない。大丈夫さ
 そう、視線で返す。
 もう、終わったことなんだ。あれからもう十年も過ぎた。早いもんさ。
 浮かんだ苦い微笑みは、自嘲(じちょう)だったのか、それとも他の何かだったのか…
 今更(いまさら)
 俺たちはもう、過去をあの時のあの場所に置き去りにしてきてしまったんだ